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ランドセルコラム:ランドセル廃止論の障害を乗り越えて

ランドセル廃止論の障害を乗り越えて

毎朝、色とりどりに華やかな装飾が施された、個性豊かなランドセルを背負って学校へ向かう小学生。
特別に決められた訳でもないこのランドセルが、小学校入学時には、当たり前のように選ばれるにはそれなりの理由があっての事だ。
明治20年にランドセルの原型が出来て以来、今日に至るまでのランドセルの歴史において、使う側・売る側・作る側、それぞれの立場で、さまざまな思いがこのランドセルに込められている。現在、何の疑いもなく使われているランドセルだが、幾多の障害があったのは記憶に新しい。

ランドセル通学を廃止する動き

昭和30年代後半から41~42年にかけて、一部の私学を始めとしてランドセル通学を廃止する動きが出始め、それが地方自治体等にも現れ始めた。
大きな理由としては、当時の経済状況(物価高騰)もあり、重い上に高額で家庭の負担が増加する等、マスコミによる問題提起報道もその要因でもあった。
昭和40年前後より、各地区の鞄協会としても、それぞれにおいてランドセル廃止問題を含めた諸問題に取り組む「ランドセル対策委員会」等を設置し、消費者団体との懇談、あるいは関係省庁との折衝等、活発な活動をしていたが、諸物価高騰が続く中、昭和46年6月には、㈳日本鞄協会〈理事長 池田貞三氏)の音頭により、全国鞄卸商業組合連合会(理事長 市橋好三氏)と、全国鞄工業組合連合会(理事長 大橋七三郎氏)の商工懇談会が開催され、価格問題については、「ランドセル廃止につながる恐れ等を考慮し、永く使用されるよう業界側の自粛が大切である」との結論から、業界申し合わせとして「最高小売価格を15,000円とする。」としている。

昭和48年には、オイルショック等も重なり消費者物価の高騰と合わせ、各種資材の高騰もあったため、業界申し合わせの最高小売価格も、その後数年ごとに何度か改定されている。

このように、価格の問題を始めとしたランドセル使用廃止運動に対抗するため、啓蒙活動などを全国規模で取り組む必要もあった事から、消費者に対しランドセルの正しい認識を徹底させる事を日的に、昭和49年7月にランドセルを取り扱う商・工関係業者を中心に「全国鞄協会ランドセル推進委員会」(会長 若松種夫氏)が発足する運びとなった。

ランドセル通学の見直し

第1回「全国鞄協会ランドセル推進委員会」を9月9日東京鞄会館で開催し、以下の議題につき討議した。
①学校長会、PTA、教育委員会等との意見交換を図る。②専門調査機関にランドセルに関する情報その他についで調査を依頼する。③主要目刊紙を通じPRする。④ポスターを作成し、学校、PTA、幼稚園等関係機関に配布する。⑤ランドセル業界の実情を関係筋に訴える、とし活動をスタートさせる事となった。
昭和50年には、消費者向けPR紙「ランドセルのおはなし」(新書版16ページ)を製作し各支部へ50万部を配布した。
また、全国の教育委員会及び公立の小学校、幼椎園に「皮革及び合成皮革ランドセルについて新たなる認識とご理解を」とのお願いする文章を送付している。

然しながら、その後も広島市や、ナップランドと称した簡易型ランドセル、日立市のビニール製簡易型ランドセルめ無償配布、岐阜市の無償配布等、ランドセル廃止の動きは収まらず、業界としてその対策に苦慮していた。
そのような中、朗報が舞い込む。昭和40年に全国に先駆けてランドセルを廃止し、震源地となっていた西宮市では、当業界から直接交渉に当った大阪ランドセル工業会々長泉正三郎氏と奥吾一西宮市長との会談の結果、従来の市の方引を転換して昭和51年度の4月から順次ランドセルを復活し、いずれ全市の児童に使用させるとの方針を約束した。
同市が市長約東の通りランドセル通学を復活する事になれば、現在廃止している他地域への影響も大きく、業界が推進しているPR活動も更に有効に展開するものと期待された。

また、全国の廃止地区において北海道、四国等の廃止校とも交渉。何れの地区もランドセルに対する認識の不足、公務員法の不徹底などが見られ、交渉先ではいずれも業界側の意向が汲み取られ、再び自由選択に移行しているなど、徐々に活動が実を結び出してきている。
昭和51年以降も、「ランドセル推進委員会」が中心となり、各都道府県の教育委員会を始め、公立小学校、幼稚園などに対し、ランドセル使用に関する要望書の配布や、代替品採用地域への陳情等、昭和60年前後まで続けている。

ランドセル使用廃止運動との戦いの時代

以上のように、昭和40年代から50年代後半にかけて、ランドセル業界は、「ランドセル使用廃止運動」との戦いの時代でもあった。その後、ランドセル推進委員会は、平成6年7月31日に発展的に解消の上、同年8月1日に、㈳日本鞄協会内にランドセル工業会部会として新たなスタートを切ることになる。
勿論、推進委員会の設立基本方針を継承し、学習院型ランドセルの普及宣伝とランドセルの正しい知識の啓蒙、並びに販路の増進を図ることを目的に設立され、現在に至っている。

現代のランドセル文化へ

もっとも、現代においても、いまだ代替品によるランドセル通学の廃止を継続している自治体等もあり、問題が全て解決しているわけではない。
歴史は繰り返すとの言葉通り、現状を見ると毎年のように平均小売価格の上昇が見られ、一部マスコミからも問題提起報道がなされるなど、昭和40年代当時に良く似た状況が見られる。
勿論、黒と赤が中心で、ほぼ同規格のランドセルしか選択の余地がなかった当時とは時代背景が全く違い、多色化や差別化が図られ、消費者が好みのランドセルを選べる時代になり、すぐにランドセル廃止運動につながることは無いとは思うが、装飾華美になりすぎ、行き過ぎた価格設定は、自分で自分の首を絞める事にならないか心配でもある。

自由経済の中、昔のような業界申し合わせによる販売価格の制限は出米ないが、節度ある自粛など歴史の教訓に学ぶ必要があると考えるのは私一人だけではないと思う。
また、数年後のIT化による電子教科書問題もあり、教科書を運ぶ入れ物としてのランドセルが、どのように変化していくのか、予断を許さない。
当然、これらの利害を共通する諸問題については、日本鞄協会は勿論、ランドセル工業会が中心となり、業界挙げて取り組んで行かなければならないと思う。
然しながら、販売環境においては、昔と違いインターネット販売を始め、ランドセルの販売チャンネルの変化が、組合活動や、業界の在り方も変化させてきている。
昭和49年設立のランドセル推進委員会から、現在のランドセル工業会に至る40年来の活動が、果たしてきた役割は絶大なものがある。
今後とも、先人の残した日本の文化としてのランドセルを、工業会が中心となり、次の世代に伝えて行かなければならない。

楽しそうにランドセルを背負って学校へ向かう小学生の姿が、何時までも見られる事を祈ってやまない。

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